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西郷隆盛伝説
佐高信
角川学芸出版
佐藤洋二郎(2010/07/06 掲載)
わたしがたまに通う居酒屋には、山形の庄内地方の人が多い。十人も座れば満席になる店なので、客はみな懇意だが酔うとよく西郷隆盛の話をする。
なぜ庄内地方と彼が関係あるのかと不思議におもっていたが、本書を読んで改めて理解できた。殺戮のかぎりを尽くされた会津藩とは違い、庄内藩は一人の菅実秀という人物によって、難を逃れたどころか西郷の晩年まで付き合い、薩摩と庄内は人的交流も行っている。西郷のもののかんがえが、庄内人の精神的支柱になっているのだ。
有事には多くの人間がいることよりも、一人の有能な人間が難事を救うと著者も言っているが、薩摩の西郷隆盛は維新を起こし、庄内の菅実秀は庄内を救った。彼らの生きざまや時代を抽出して、西郷という人物を立ち上がらせたのが本書だが、奥が深く、なおかつ時代の示唆に富んでいて実に読み応えがあった。
いい人物とは無私の人のことだと個人的にはおもっている。また民主主義の基本が、公明、公正、公平に物事を行うことだとすれば、本書を読むかぎり西郷隆盛という人間は、まったくそういう人間だったのだとおもわれてくる。 私という文字はものを持っている者が、肘鉄を食らわし、自分だけのものにするという意味合いがある。そこから転じて、私利私欲の強い欲張りの人間のことを言う。また公という文字は肘を上げるという意味で、腋を上げればものは持てない。つまりは欲のない人のことを指す。西郷隆盛という人物は、まれに見る無私の人だったようだ。だからわたしたちはいまも彼を敬愛しているのかもしれない。
近ごろの政治家の強欲でていたらくな姿を見ていると、本書に書かれている西郷やほかの人間たちの高潔さや情熱を、いまの政治家の誰が持っているかというおもいも走った。著者自身が庄内人ということもあるが、当地に残る資料を駆使し、西郷の好漢さと懐の深さがよく表れている。
歴史は史(文字)で物事を歴然(はっきり)とさせることだが、本書も西郷や庄内の近代史を語るとき、欠かせないものになるのではないか。それほど深みと厚みがあり、堪能しながら読み進めることができた。人間は有事のときにどう動かねばならないか。いまの政治家との差異も如実にわかってくる。歴史好きの人には読んでもらいたい一冊だ。
(初出: 西日本新聞 朝刊 2007年7月15日)
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プロフィール
佐藤洋二郎 /
作家・西日本新聞社書評委員