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  • ★ 浮世風呂(2008/10/23)

    浮世風呂

    式亭三馬

    角川書店(角川文庫)

    高田宏(2008/10/23 掲載)

    月の二日は、近所の先頭の朝湯に入ってきた。私は銭湯好きで、自分の家の風呂に入る回数よりも銭湯に行く回数のほうが多いくらいなのだが、銭湯の不便は朝湯のないことだ。それが正月二日だけは朝湯になる。

    朝寝朝酒朝湯ができる。正月というのはいいものである。
    式亭三馬の『浮世風呂』には九月中旬の銭湯の朝湯がまず描かれている。まだ戸の開かない風呂屋へ中風病みのぶた七がやって来て戸を叩くところから始まり、やがて丁稚連れの隠居や子連れの中年男や医者などがやってきて、あがり湯や湯ぶねで賑やかなおしゃべりを交わしている。式亭三馬は筋も何もなく、ただそれらの会話を丹念に写しとってゆくのだが、ともあれ当時の江戸庶民は正月とはいわず、日々に朝湯を楽しんでいたというわけだ。

    現代の東京の銭湯は、私の少年時代と比べても設備は格段にいい。浄化装置でお湯はいつでも透き通っているし、バブル湯や赤外線湯があり、スチームバスも別料金で使用できる。だが、いつもすこし不満なのは、銭湯が静かすぎることである。老人も若者も黙々とからだを洗い、湯に入り、黙々と服を着て出ていく。式亭三馬の時代も私の少年時代も、銭湯はうるさいほど話のとびかうところだったのに、いまの銭湯は沈黙の空間になっている。たまに聞こえるのは、東南アジアあたりの人が連れだって来ているときの会話で、私には分からない言葉だ。

    正月の朝湯なら、いつもと違って賑やかかも知れない。そう思って出かけた。だが、あまり違わなかった。ふだんは銭湯に来ないように見えるサラリーマン風の男が小学生くらいの息子を連れてきていたりして、親子でときどき話をしている光景はあった。だが、浴客同士の、「あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしく」といった挨拶はついに聞けなかった。私とて同様である。この銭湯で見知っている顔はあったのだが、話しかけるにはためらわれた。前に一度、刺青を入れている職人風の中年男に、いつも会うものだから天候の挨拶をしたことがある。気さくに話に乗ってくれそうな気がしたのだが、彼はびっくりしたような顔で、向こうをむいてしまった。嫌がったというより、なにか場ちがいで照れてしまったようだった。それ以来私も銭湯では沈黙の行をつづけている。

    子供のころの銭湯には声があふれていた。騒ぎすぎて叱られることもあったが、人びとの声が高い天井に反響しているのが銭湯というところだった。謡曲や浪花節をうなっている大人もいた。

    式亭三馬が生き返ってきても、いまの沈黙の銭湯では、『浮世風呂』は書けないだろう。

    なぜ黙っているのか。近隣社会が薄れたからだと説明するのは簡単だが、それだけでもないように思う。正月の朝湯で、女湯からはときどき笑い声が聞こえてきた。女性のほうが近所づきあいがあるとも言えるが、男たちに比べて浮世の見えない束縛から自由なのかも知れない。

    (『面白い本ならある』創拓社)

    プロフィール

    高田宏 / 作家

    光文社、アジア経済研究所で雑誌編集を経て、エッソ石油広報部でPR誌「エナジー」を編集。小松左京、梅棹忠夫などの京大人文研のメンバーに多く執筆を依頼し、PR誌を越えた雑誌として評価を受ける。1975年より、文筆専業に専念。代表作に『島焼け』などの歴史小説をはじめ、樹木・森・島・旅・雪などの自然、猫などをテーマに随筆・評論・紀行など著書は百冊を超える。日本ペンクラブ理事、将棋ペンクラブ会長、石川県九谷焼美術館館長、深田久弥山の文化館館長。