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  • ★ 蒙古襲来 海からみた歴史(2009/12/25)

    蒙古襲来 海からみた歴史

    白石一郎

    講談社文庫

    八尋和郎(2009/12/25 掲載)

    九州人は、地元の歴史に疎く、「まちづくり」に利用することも下手だという人がいる。「金印」や「鴻臚館跡」がどこにあるかを聞いてもハッキリとこたえられる人は少なく、教える方が四苦八苦しているとも聞いた。地域の歴史に興味を持つ人が少ないということだろう。

    九州人が地元の歴史に目を向けない理由は、地方の歴史調査や研究が遅れているということもあるが、若い時に都や幕府の歴史、文化を中心に学ぶためではないかと考えている。まして九州の歴史など入学試験にもほとんど出ないので、学ぶ気になれないのかもしれない。また、九州を舞台にした歴史小説が少ないことなどもあるだろう。

    本書は、日本開闢以来の最大の危機であった「蒙古襲来」事件の背景を丹念におっており、若い人も興味を持って読める。小説ではなく、歴史読物の体裁をとって、元のクビライ・カアン側と、鎌倉幕府側から検討し、文永の役(1274年)、弘安の役(1281年)に向かっていく様子が臨場感を持ってえがかれている。元軍は、文永の役で、対馬、壱岐のあとに、なぜ博多ではなく、肥前に向かったのかなど興味深い示唆がされている。筆者によると海賊としても朝鮮や中国に聞こえていた「松浦党」をこの際たたいておこうといった意図があったとの説を紹介している。北松浦半島一体が襲撃された後、元軍は博多にも上陸し、日本側に大きな被害を与えた。しかし、なぜか一夜にして、軍船が消えていた。ここにもいくつかの説もあるが、まだ多くの謎が残る。次の弘安の役では、鷹島(松浦市)沖で暴風雨がおそい、14万人の元軍は壊滅的な被害を受けたことになっている。松浦党も前の戦いの恨みもあって、奇襲をかけたのかもしれない。

    また、興味深いのは、蒙古襲来で松浦党は善戦し、多くの犠牲を出したにもかかわらず、当時の鎌倉幕府から報償されることはなかったという点である。西海の地域は中央から僻地として冷淡に扱われ、それに、こりた武士団は中央集権をあてにせず、小領主たちが一致団結して同盟を結び、再度の元軍の襲来に備えたという。中央集権への反発と地方の団結は、今の時代を思い起こさせる。筆者は、最後に、元軍の編成や造船技術、航海術などを検討した上で、元は、たとえ暴風雨がこなくても日本征服に成功する確率はなかったと推測している。

    本書はここまでであるが、1994年、「元」軍船のイカリが伊万里湾から引き上げられた。このイカリは、1281(弘安4)年の弘安の役の台風で沈んだ「元」軍船のイカリで、イカリの中心部の長さは約2.6メートルもある。これをもとに推計すると「元」軍船の長さは約40メートルにも達することがわかった。伊万里湾の発掘作業も進んでおり、本書でえがかれた蒙古襲来に関わるいくつもの謎が解明されることが望まれる。筆者は2004年に亡くなられたが、本書の検証は現在進行形である。

    プロフィール

    八尋和郎

    九州経済調査協会 情報研究部長