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ビゴーが見た明治ニッポン
清水勲
講談社学術文庫
菊畑茂久馬(2010/01/23 掲載)
日清戦争に勝利して、激動の国際舞台に躍り出た頃の日本の内幕を、絵筆一本で痛烈に諷刺したジョジュル・ビゴーほど、逆にこれほど日本人に圧倒的に支持され、親しまれている画家も珍しい。
当時、東アジアに雪崩込む列強と丁々発止と渡り合う日本の姿を、深い洞察力と未来の予感をしのばせながら、奇想天外なアイデアで、抱腹絶倒の絵を描く画才は、天下一品である。
錚々たる明治の政治家や高級官僚、軍人などを、片っ端から痛罵しながら、これを笑いとユーモアで包み込む知的センスは、日本の政治漫画や諷刺画などに、いかに影響を及ぼしたかわからない。
西洋文明にいかれた日本の上流階級の人々の、鹿鳴館や晩餐会などでの滑稽きわまる行状の絵など、今見ても一級の文明批評である。一方で、文明開化などどこ吹く風の庶民の暮らしぶりなど、いかに豊かなものを失ったか、ビゴーの絵はわれわれにとって貴重な玉手箱となっている。
ビゴー研究の第一人者の著者が、手軽な文庫本でありながら、ビゴーの画業の主要なテーマをきちんと押さえて、その中から選び抜いた図版を百点も載せて、一点一点実にわかりやすい解説文を添えている。
それでも冒頭の「はしがき」によれば、著者はすでにこれまでビゴーの紹介書を十四冊も出版しているが、それでもまだビゴーが残した作品の半分も紹介していないと云う。驚くべき画業である。
ビゴーは明治十五年二十二歳で来日し、明治三十二年三十九歳で帰国するほぼ十八年の滞日であったが、憲法発布、国会開設、日清戦争、条約改正と、ちょうど日本近代創設期の山場だった。当時は報道写真などまだビジュアルな記録がほとんどない時代に、いかに貴重な日本近代の実相を描き残してくれたか、その功績は計り知れないものがある。
官憲の目の厳しい中で、このような貴重な諷刺画が、彼の地で現存していることは、これらの絵が主に横浜など居留地に住む外国人向けの雑誌などに掲載されていたことで難を逃れたとは云え、よくぞ残ってくれたものである。
ビゴーの諷刺画は、やっと戦後になって初めて日本に紹介されたことを思えば、これは平和の訪れと共に、一人のフランス人画家からの、大きな大きな日本人への平和の贈りものだったのである。
(初出: 西日本新聞 朝刊 2007年7月8日)
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プロフィール
菊畑茂久馬 /
画家・西日本新聞社書評委員