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    武王の門

    北方謙三

    新潮社

    藤井学(2010/06/02 掲載)

    書は、日本の南北朝時代における九州を舞台に、後醍醐天皇の息子である懐(かね)良(よし)親王(しんのう)と、肥後(熊本県)の雄族の頭領である菊池武光が、九州統一を目指した戦いを描く時代小説である。
    南北朝時代は、足利尊氏が擁立した持明院統による北朝と、後醍醐天皇の一族である大覚寺統による南朝に皇室が分裂して、戦いを続けた時代である。南北朝時代というものの、全国的には多くの武家の支持を得た北朝(足利家及び室町幕府)が終始有利に戦いを進め、ほとんどの場所が北朝側の支配下に置かれていた。しかし、九州だけは十数年間南朝側の支配下に置かれた。南朝の「征西府」による九州支配をもたらしたのが、物語の主人公である懐良親王と菊池武光である。
    北方氏は、北部九州を根拠地とした倭寇が国境を越えて東アジア全体で動いていたこと、懐良親王が倭寇の取締を条件に中国の明朝から「日本国王」として冊封を受けるなど独自の外交ルートを構築していたこと等の事実を組み合わせることで、懐良親王に対して「足利の国とは違う、九州をひとつの国とする」という夢を持たせた。本書を読み解く重要な切り口の一つは、「九州独立」の夢と「九州発のアジアへの視点」である。そのため本書の舞台は、九州に加え、朝鮮半島や中国へと広がっている。
    懐良親王が九州の水軍を率いて中国の水軍と戦ったり、南朝側の至上命題であった京都奪還作戦の失敗を曖昧に描くなど、歴史的事実との整合については不確かな部分が多い。また、土地のために争う武士団の戦いをなくすために、九州を征西府のもとに一つにまとめ、恩賞は土地ではなく金銭で支払い、武士団は九州を守るための集団に位置づけることを目指した懐良親王の考えは、近代国家における軍隊の位置づけに近く、当時の皇族としては異質な考え方であるかもしれない。
     それでも、恩賞の原資を稼ぐため、九州に近い朝鮮半島(高麗国)との関係を深めつつ商人の自由な交流を支援する一方で、室町幕府とも吉野(南朝)とも一線を画した、九州を新しい国とすることを目指した懐良親王の理想は、読者に対して、「本当にこうした考えを持っていたのかもしれない」と感じさせるほど、強烈な印象を与えている。しかし最終的には、室町幕府の武将である今川了俊による九州攻略と、菊池武光の死によって、懐良親王の理想は潰れることになる。
    現代の九州は、「ひとつ」となる途上であり、またアジアへの近接性という可能性を充分に活用しきっているとは言い難い。だからこそ、アジアへの近接性を活かしつつ、一時的に九州をひとつの国にしかけた、北方氏の描いた懐良親王の理想は、現代人である評者にとって眩しく見えるのである。
    なお、網野善彦『異形の王権』を併読すれば、本書でも描かれている平野部の農耕地の所有をめぐる南北朝の対立構造や、歴史上の「英雄」による事件の編纂では見えにくい民衆の動きがより理解できる。また、井川聡・小林寛『人ありて―頭山満と玄洋社』を併読すれば、時代が異なるが、九州発でアジアに対して行動を起こすことが出来るという九州独特の立ち位置について考えさせられる。北方氏による本書の歴史描写の豊かさを感じるために、本書はもちろんのこと、上記二冊も併読することを薦める。

    プロフィール

    藤井学

    九州経済調査協会 調査研究部 研究主査