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新・装幀談義
菊地信義
白水社
藤原智美(2008/11/05 掲載)
いつのまにか本が、生鮮食品のような存在になってしまった。書店はスーパーの野菜売り場のように、日々品物が入れ替わっていく。
情報化時代の情報は新しさに価値がある。昨日発信されたものはもう古くさく、ただちにうち捨てられる。よって本もそれにふさわしく、鮮度が問題となる。本も情報にすぎないと考えれば、やがて書籍はインターネットに回収されていくのだろうか? 文字を抜きだし、ネット上に引っ越しさせれば、本などいらなくなるという見方もある。
しかし私にはそうは思えない。モノとして本には、捨て去ることができない存在価値がある。大げさにいえば文明がつくりだした最大の発明品が本である。
菊地信義は装幀の第一人者だ。三十年で一万数千冊のブックデザインを手がけてきた。現在ある装幀のアイデアは、多くが彼によってつくられたものだ。書名のぼかし文字、斜体文字、影つき文字などは今ではおなじみになっている技法である。なかには、わざわざ同じ色を三度重ね塗りして、独特の風合いをだしたようなカバーもある。
文字、配置、色、紙という細部にまでこだわり、彼によれば同じ紙質でもメーカーの差異がたちどころにわかるという。それほど見事な「職人技」を発揮して本はできあがる。だが装幀の本質はテクニックにあるのではない。
本づくりの出発点には「作品は情報ではなく、言葉によって起きる事件」なのだという考えがある。そこには現在進行している情報化の流れとは根本から異なる姿勢がみえる。
そのためにはまず作者をイメージし、作品を読みこむことが作業のスタートとなる。やがて本は「手のなかではじまる劇」として完成する。手に取り頁を開いたときの感触までも、あらかじめ設計図のなかに組みこまれているのだ。
私たちはほとんど意識しないが、こうしてできあがった本には作者の息づかい、個性が立ち現れる。それはたんに本の「衣装」というのではなく、テクストと表裏一体となった、作品と分かちがたい「皮膚」のようなものなのかもしれない。
目を引く=売れるという思惑が主流の現代、あらためて本への信頼と愛情を認識させられる一冊である。
(初出:西日本新聞 朝刊 2008年6月29日)
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プロフィール
藤原智美
作家・西日本新聞社書評委員